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平等と不平等

 人間として生まれて生長していく時、人間の世界は多くの不平等や不公平に満ちていることに気づく。そのなかには、誰人もどうすることもできないものがある。
 その第1は、どこに生まれるかである。大きくは、日本に生まれるのか。ヨーロッパアフリカに生まれるのか。また、平和な国に生まれるのか。生死に係わる紛争を行っている国に生まれるのか。小さくは裕福な家に生まれるのか。貧しい家に生まれるのか。この様に、どういう環境の下に生まれるのかは生まれる本人は、知らずに生まれてくる。
次に、生まれてくる本人に関してみると、その性別、容姿、才能等に相違がある。男として生まれてくるのか女として生まれてくるのかによって、その後の人生の歩みに大きな隔たりがある。容姿や才能にしてもしかりである。例えば、ファッションモデルという職業においては、その容姿が第1条件である。才能においても、天賦の才能は厳然として存在する。特に、スポーツにおいては、本人の努力にもよるが、トップ選手と一般の競技者との才能の差は感じられる。卓球という競技において、現在、水谷隼選手は日本一を決する全日本選手権という大会で11年連続決勝進出を果たし、その内9度優勝している。日本全国で、何万人、何十万人という人達が卓球という競技で日々努力しているけれども、10年以上もトップの座に輝いている姿を見ていると、そこに天賦の才能の存在を認めざるを得ない。このように、確かに生まれたときにその容姿、才能、環境等の良し悪しという基準は存在するけれど、他方人が生きていく中で他の基準も用意されている。それは、幸福感、生きがい、よろこび等である。これらは、生まれた時の条件とはまた別個のものである。例えば、日本一になった人が幸福で、なれなかった人が不幸で日々過ごしているわけでもない。ファッションモデルになるほどの容姿を持っていたとしても、幸福に包まれて人生を送るかというと、必ずしもそうだと言えないだろうし、モデルになるほどの容姿を持っていなくても、人は人に愛されて幸福な日々を送る。つまり、人が生まれて生きていく中で不平等と思われる条件は存在するけれど、それが全てで絶対的かというと、それ以外にも多くの条件の下で人びとは人生を歩んでいるのである。
さて、これまで人間の不平等を見てきたけれど、では対岸の平等に視点を移してみよう。人間を含むこの大宇宙に存在するすべてのものに平等に与えられているものの中で最大のものは何であろうか。私は、“時間”であると思う。それは、1時間とか1日とかの長さではなく、今という瞬間の時を指す。一瞬一瞬の時の重さや輝きは、誰人に対しても同等であろう。困難に遭遇している時も、喜びの最中も、病気の時も、健康でいる時も、瞬間の時自体は、一方が軽くて一方が重いという事はあり得ない。今という瞬間の時自体は、誰人に対しても平等に輝いている。そして、その輝きに反応してその人がどれ位輝くかは、それぞれの人間に与えられた平等の権利であろう。ここに、誕生した時に存在する不平等なものを一生の間に見事乗り越えていく力の源が存在する。宗教の存在意義は、この時の輝きに呼応して一人の人間の内面の輝きを最大限にするための法則や方法を明示することにあると思う。仏の説く法華経、末法においては日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」においては明確に提示しているがゆえに、諸宗教の王たる位置に立つと実感する所以である。
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