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 8月6日、9日、15日と、日本では8月に入ると、「死」について多くの
人間が考える時をもつ。昨日(11日)の公明新聞に〝「死」という発明”
という題で、静岡大学農学部教授の稲垣栄洋氏の言葉が載っていました。そ
の文面は、氏の専門性を背景とし、豊かな品格を感じるものである。「死」
は人間にとって最大のテーマである故に、古今東西の識者、哲学者、宗教家
は、それぞれに空間的色彩を放っている。生きとし生ける全ての人間は、そ
の生涯で1度はこのテーマを目の前にして、納得のいく答えを求める。死ぬ前
の苦しみは、死への苦しみではなく、生きている故の苦しみである。「死に
たくない」と叫ぶ死への苦悩は、自分という存在が死という現象の後に存在
しなくなり、その存在が2度と現れないまま時間が永遠に続くという事への
恐怖感、喪失感、虚無感を基とする。「生」と「死」というテーマに対し、
釈尊は法華経において、生命の永遠性を説き明かし、日蓮大聖人は御書にお
いて、さらに明確に言い表して下さっている。近年では戸田先生が平易に言
い表して下さった。その真理は明快である。しかし、問題はその真理を万人
が理解し、信じ、納得できるかである。「生命は永遠である」と言われても、
それを日常的に確かめることはできない。目に見えず、形ないものを只思考
の世界で理解するには、安心感は得られない。この真理を一点の曇りなく理
解するには、自分の〝生命”が身体という器から飛び出し、大宇宙の〝生命”
と共鳴し一体となるしかない。頭脳による知の世界から飛び出し、〝生命”
という<甚深無量>の世界を開くしかないのである。その方法は。これが
人間の最大の課題である。日蓮大聖人が、その答えを表わして下さっている。
御書に触れていくと、その言葉が目の前で立ち止まる。しかし、言葉は平易
であるが難解である。なぜなら、その一文,一語が<甚深無量>の広がりを
持つからである。その世界の扉のどこか1つでも開けたい。

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