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鬼に金棒

 最近、心と身体の関係について、1つの発見をした。それは、体調を崩したり、疲れた時から回復するのに、心と身体では同時でないということ。昨年の暮れから、身体に不調をきたすことが多くなってきた。五十肩を発症し、天候の変化にも体調を崩しがちになってきた。今、年齢が高くなって、回復に時間がかかるようになっただけでなく、心と身体の回復にずれを生じている。若い頃は、そんなにぶれないでほぼ同じように回復してきたのに、最近は、そのぶれが大きくなってきたように思う。心が回復してきても、身体の回復が遅れてきたり、またその逆も発生する。この時どうするかというと、心を前に向かって畳んで、身体の回復をまつと、そのスピードが早くなると思う。心が焦っていると身体の回復を待たずに行動してしまうから、心と身体が一致するまで時間がかかってしまうのだろう。また、心にある程度の緊張感がないと、身体の回復が遅れてしまうのかもしれない。その心を元気づけるものはなにか。子供、仕事、家庭等もあるだろうが、高齢になってくると、やはり〝 南無妙法蓮華経 ”への信心である。鬼に金棒とは、なるほどと得心する。この時、金棒のもう1つの働きは、回復を待つこと自体の楽しさができることである。

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希望

 我が子たちへ;法華経を信じる者は、人間第一主義ではなく、地球を1つの生命と感じて、人間と他の生命や環境を等しくとらえ、よろこびを共有する地球主義を目指してほしい。

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お願い

 私は、大学者でもなく、一凡人です。その私が日蓮大聖人の御書に触れて、理解しようとする時、論理的に思考して結論を得るという形をとりません。大事なことは、突然心の中に浮かび上がるのです。それは、私が生まれてくる時、生命に刻み込まれていて、その言葉が、ある時何かの因でそれまで繋ぎ止めていたものが、ふっと消えて、空中にパッと現われると言ったらいいでしょうか。その言葉が現われた後に、思考が始ます。そのために、私のブログを読んで下さっている方々は、時に書かれている言葉がどういう事か理解に苦しむ時があるでしょう。先日の「鏡」という見出しの言葉もそうでした。言葉が浮かんだときは、前後に関係なく、その瞬間書き留めますので、ご理解ください。

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鏡 (追記)

〝 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かれざる鏡なりこれを磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし ”
                      一生成仏抄 P384

 闇鏡とは、「仏界」が現れていない九界の世界をいう。その闇鏡を磨いた先に現われるのは、「仏界」である。「仏界」が現れて闇鏡から明鏡となり、そこに十界が明瞭に写しだされて、自身の内面は一大変化をおこす。つまり、闇鏡の時の九界と、明鏡となった鏡に十界が写し出された時の九界の世界では、180度変わるのである。それを大聖人は、ご本尊の中で、「南無妙法蓮華経」に背を向けているか向き合っているかと言い表しておられる。

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鏡 (改訂)

〝 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かれざる鏡なりこれを磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし ”
                      一生成仏抄 P384

「鏡」とは、「ご本尊」なり。
「ご本尊」とは、自身の「生命」なり。

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「鏡」とは、「ご本尊」なり。
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成長

9月9日の聖教新聞の「名字の言」に、人と人の出会いについて載っている。その記事を読みながら、3人の女子生徒の姿を思い浮かべた。同じ中学校で同じスポーツをした3人の生徒は、それぞれ高校に行っても同じスポーツを続けた。1人の生徒は、学校統合の最中施設が整っていない状況の中、学校の外にも飛び出し、広く練習相手や指導者を求めて出歩いた。そして2年生の後半に1人の指導者に出逢って、みるみる成長していった。もう1人の生徒は、同じ人に教えてもらう機会を得ながら、自分の殻から飛び出せずに、成長が止まっていた。3人目の生徒は、それまでの自分の練習環境の中で努力し、新しい風を感じないで、成長が足踏みしている。3人とも努力しているのであるが、3年という時を経て異なる姿を現している。
 人が成長するには、先ず広く出会いを求め、新しい風に出会うことである。次に、心を開き、出会った相手がどの様な心の音色を発しているか感じることである。そして良き音色であったら、それに自分の心を響かせていくことである。このことを、3人の女子生徒の姿から、私は学ぶことができた。

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一筋の風

 創価学会第2代会長戸田城聖先生の発願を受け、堀日亨氏の編纂によって誕生した「日蓮大聖人御書全集」について、その誕生の意義は、これからもいろいろな角度から言い表されるであろう。その意義の1つを言い表したい。御書は、単に文字を書き綴っている書物ではないのである。1つ1つの文字が生きて躍動し、大きなエネルギーを発している。故にこの御書は、単に机の上に置いて、時に開いて読むだけのものではなく、私たちがご本尊の前に端座して唱題、勤行する時に、ご本尊の前に置き、さらに御書と自分の間に、釈尊の方便品、自我偈を置いた形で唱題、勤行がおこなわれるべきである。それは、ご本尊の前に日蓮大聖人がおはし、その前に釈尊がおはし、その前に自分が座っている形である。また、別の視点から述べれば、ご本尊は南無妙法蓮華経の「理」を表し、御書は「事」を表し、釈尊の法華経があって、自分が存在する。このような形で、唱題、勤行が行われる時、ご本尊から自分に向かって1筋の風の道ができて、風が流れてくる。その風を感じ、かつ自分の身体を透かして流さんと、自分の「生命」を開いた時、「十界互具」の意味を知るのである。

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