So-net無料ブログ作成

始まり

 人間が溢れるよろこびで輝く瞬間・瞬間を生きるその第1歩は、自分のこの比類なき財宝である生命を、その人生で何のために使うかを考えることから始まる。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

開く - そのⅡ

「開く」という現象は、外からと内からの2通りのアプローチがなされる。
 外からのアプローチは、〝 開ける ″というニュアンスが強く、内からのアプローチは、〝 自ずと開く ″というニュアンスが強い。泉から水がこんこんと湧くようにという表現は、後者に属するけれど、そのアプローチは理解され難い。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

気付く

先日、新聞に山本周五郎の小説「さぶ」の登場人物が語る言葉が載っていました。それは、「どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはできないんだからね」。
この言葉を何度も心に響かせたとき、「南無妙法蓮華経」に出会い、信じた幸福を嚙みしめることができた。何故なら、「南無妙法蓮華経」を信じる者は、やがて慧眼、仏眼を開いて、自分の背中をも見ることができるようになると気づいたからです。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

住する

 戸田先生が、幸福を相対的幸福と絶対的幸福に対比して言い表された。
 相対的幸福とは、財産や社会的地位・名声等を手にし、所願満足の状態をいう。しかし、その幸福は、永遠に続くという保証もなく、又、その状態にあっても、達成感はあっても内面が常に満たされているわけでもない。
 これに対して、このような外的形がなくても、あるいは苦難に際しても、壊れることなく力強く乗り越えていく状態を、絶対的幸福ととらえる。
 この相対的幸福というも絶対的幸福というも、それは、海の上の波の上に漂っている者に対する状態について言及しているように感じる。今、ひとたび海の中に潜って自由に泳ぎ回るようになったら、波の上でのことは、「ありのまま」=「幸福」となる。きらびやかな装飾品で飾られた家に住んでも、驕らず・縛られず、格子の障子が破れて隙間風が入ってくる家に住んでいても、「うふふ」と笑えるそういう幸せの世界に住するのである。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

輝く

「南無妙法蓮華経」を信じる者にとって、価値の有無も価値の高低も存在しない。
全てがそれぞれの輝きを放つ。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

歩み

  〝 魔競わずんば正法にあらず ″

「南無妙法蓮華経」を信じ、その真実に触れようとするものにとって、今生で財産や社会的地位・名声・信用などでその身を飾ることは難しい。なぜなら、その者は仏と魔のせめぎ合いの最前列に位置するからである。魔は、その者が築こうとするものを根こそぎ破壊しようとする。それは、その者によって大きな打撃を受けるからである。「南無妙法蓮華経」の真実に触れようとする者は、いかなることがあろうとも、その歩みを前にすすめ、やがてその扉を開けようとする。扉が開いた時、そこから発する光が魔の闇を照らすこととなる。
 今その者に、“どうして自ら苦の中にとびこむのか。もっと楽な道を歩いたら”と勧めても、その者はその歩みをやめないだろう。それは、「生命」を開いて溢れてくる悦びは、その苦と共に存在するからである。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

法華経の行者

 〝法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏すべし″ P416

この御文を理解しようとすれば、最後の「成仏」に対して、前段に2つの条件がついていることを心得なければならない。1つ目は法華経の行者であり、2つ目は如説修行である。この2つの言葉の内容が明確にならないと、「成仏」へどうしたら行きつくのか思い描くことは、できないだろう。そこで、最初に「法華経の行者」について触れて見ようと思う。
 「法華経の行者」とは、法華経を身口意の三業で読み、法華経の正しさを証明していく者のことをいう。身で読むとは、法華経ゆえの苦難を体験し、それによって法華経の何たるかを学ぶと同時に、法華経の正しさを表していくことである。口で読むとは、「南無妙法蓮華経」の唱題行である。意で読むとは、「信」をさす。〝一心欲見仏″で説かれるように、一途に求める力の強さであり、その純度の高さである。
 2つ目の「如説修行」については、触れるには未だ力不足である。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

言い表す

 よく仏道修行、仏道修行と話されるのをきくと、私には仏が言い表した教えが、現実の生活から離れたところでの行為のように響いてくる。今生きている全ての人間は、生存という競争の中に身を置いて、日々刻一刻と変化する事象に対し、よりよい未来を思い描いて、進むべき道を決断し、努力している。その姿から、修業とは、何か特別な訓練だけを指すのではなく、日常生活それ自体が立派な修業ではないかと思える。仏が言い表したものは、「信心即生活」の言葉が言い表しているように、万人の日常の生活が、どうしたらより良い方向にできるかを示している。故に、修行とか仏道修行という表現を使用するよりも、現代にあっては、老若男女の人びとが理解できるように、御書から学んだことを、現在の日常生活で使われている表現で、言い表していく努力が求められているように感じられる。日蓮大聖人ご自身、当時としては画期的であったように、民衆の言葉で語りかけ、言い表しておいでではないか。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

供養する

「南無妙法蓮華経」を供養するとは、仏の意志である“毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就佛身”に賛同し、同意することである。
 現代において、これを体現し、世界に広げる創価の活動は、平和・文化・教育の世界で、1人1人の生命の尊厳を大地となし、その上に政治・経済・風習などで、国や社会の垣根を越えて、1人1人の人間の幸福の姿を実現して、世界の民を安んじていく壮大な立正安国の運動であり、これに携わる個々の行動をいう。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

開示悟入

 法華経の「開・示・悟・入」は、師弟の絆を表す。
上の「仏知見を開き、仏知見を示す」は、師の役割。
下の「仏知見を悟り、仏知見に入る」は、弟子の役割。
これが、〝 在在諸仏土 常与師倶生 ”の背景の意味を物語る。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問