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我が子たちへ

 目の前のお金の大小に、目を奪われること勿れ。この世に
意味のない仕事は存在しない。しかし、その意味を知るには、
あるいはその価値を生むには、心の目を持たなければならな
い。心の目を開くには、鍛錬が必要である。ダイヤはダイヤ
をもってして磨く。その鍛錬の積み重ねの上に、仕事の背中
合わせの目に見えない世界に、お金以上に燦燦と輝く価値が
眠っている。その存在を知らずして、生涯を終えること勿れ。


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厳しさ

〝 自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心に
して南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血
脈とは云うなり ”         p1337
〝 仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華
経と唱え奉るべき者なり ”    p557

 生死一大事の血脈とは、成仏の法則をいう。過去遠遠劫よ
り尽未来際まで流れる法則である。それに触れようとすると、
 1)〝 自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心に
   して ”
 2)〝 我慢偏執の心なく ”
の2文の前に立たなければならない。なぜなら、自分の生命
のリズムを妙法蓮華経のリズムにどう合致させるのかを説き
表しているからである。そこにあるのは、ただなんとなく「
南無妙法蓮華経」と唱えていればいいという安易なものでは
ない。己が自分の内面に向かう姿勢は、戸田先生が、御書の
序に述べているような剣豪の修行を思わせる厳しさが求めら
れる。



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不求自得

〝 不求自得 ”

 このよろこびは、いつやってくるのか
わからない。突然生まれては、太陽の光
が外に向かうように、どこまでも広がっ
ていく。その時、自分の体の存在感は消
えてしまう。

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たすくるもの

" 甲斐無き者なれども・たすくるもの強ければ
たうれず、すこし健の者も独なれば悪しき
みちには・たうれぬ "         p1468

「人という字は、人と人が支え合って成り立っている。」
と、よく語られる。生きている中で数多くの人の手助けを
受ける。助けてくれる人は、親子、兄弟姉妹であったり、
友人知人や自分の人生における恩人であったり、数多く
存在する。このことに頷く人はあまた多いけれど、最も
力強く助けてくれるものが、実は自分の生命の中に存在
することを知るものは少ない。法華経はその事を語り続け
るのである。

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変わらないもの

自分のすべきものを自覚する者は、
周りの環境が変わっても心の軸は
変わらない。

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知る  -その2

〝 心を一にして仏を見る ” p852
        
〝 開 ”

 今という瞬間に生きる人間には、4つの軸を有する。
体と心と生命、そして今という瞬間の時にある。
この4つの軸の位置が、1つにおさまった瞬間、
「開」の意味を知る。

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立つ位置

人が誕生して、その人生を歩む中で訪れる苦難に対し、
仏教ではその「因」を教えてくれる。しかし、現実に
目の前に訪れているものに、キャンパスに絵をかくよ
うにはっきりした形で理解することは難しい。そこで
大事なのは、「一念三千」の法理である。すなわち、
目の前の苦難を、自分がどうとらえるかその主体性に
ある。

1)苦難を宿業ととらえると、宿命転換の色合いを
  帯び、自分の立つ位置は、先の瞬間に重きを置く。
2)願兼於業ととらえると、今という瞬間に生きる
  性格が強くなる。

と感じられる。

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大難  -その2

〝 日本国の位をゆずらむ、法華経をすてて観教等につ
いて後生をごせよ、父母の頸を刎ねん念仏申さずば ”
〝 身命を期とせん "    p232

 日蓮大聖人のおっしゃる大難の第2は、「父母の頸を刎
ねん」に代表される親子、夫婦、師弟等の間にある情を天
秤にかけられる時である。身の苦痛より心の苦痛の方が、
遥かに苦しみを伴う。
 では、この時、どうしたらこれらの魔の働きに対抗でき
るのでしょうか。大聖人は、「身命を期とせん」とおっし
ゃっている。すなわち、この宇宙第1の宝である生命を目
の前に差し出すしかないのである。それは、なにも生命を
投げ出すということではない。目の前に差し出すという覚
悟の上に、命は輝きを放つ。さんさんと光が輝いている明
るさの中に、魔は入り込めなくなるのである。

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大難  -その1

日本国の位をゆずらむ、法華経をすてて観教等について
後生をごせよ、父母の頸を刎ねん念仏申さずば
                   p232

 日蓮大聖人は、開目抄において、法華経を信ずる者が、信心
の途上で経験する悪口・中傷や身命に及ぶ数多くの難以上の大
難として、上の2つをあげている。なぜなら、それは法華経を
捨てる、あるいは法華経から離れる「因」になるからである。
 その第1は、「日本国の位をゆずらむ」という言葉に代表され
る甘いささやきである。人々による悪口・中傷や経済苦、家庭
不和、病気等自分にふりかかる苦難は、確かにそれ自体大いな
る苦しみを持つ。しかし、この時、「南無妙法蓮華経」を心に
抱く者は、心堅固にしてその苦しみに耐えるのである。さらに
これらの苦難は、法華経の信を深める作用も果たす。そうした
中で、連続して襲いかかる難によって苦境に陥った時に、最後
の土壇場で囁かれる甘い言葉ほど恐ろしいものはない。信心を
天秤にかけられて、その人が喉から手が出るほど欲しいものを
甘く囁かれたとき、心の防御は内から崩れていく。そして、
自分の身の上の苦しさよりも、この最後の囁きによって、法華
経を腕の中から離してしまった過ちは、この時気づかないで、
後日その過ちを味わう恐ろしさでもある。

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60過ぎて

60過ぎて最近、以前より自分の内面が澄み出して
いるように感じられる。内面が澄んできたら、見たり
感じる外側の風景や環境もまた冴えて、その純度が
あがっている。その結果、体の表面の感覚が踊り出し、
体の中に悦びが生まれ、それが外に溢れだし、十方に
広がっていく。
 このよろこびを味わえる瞬間のかけがえのなさ。

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